日本教育デザイン学会 ーJEDIー

未来志向の教育デザイン-2- 「他人ごと」から「自分ごと」への転換


◆ 危機意識と「他人ごと vs 自分ごと」

 これまでにない雰囲気の中で、今年のゴールデンウィークが終了しました。

 「不要不急の外出自粛」「ステイホーム」などを合い言葉に、多くの人々が政府や地方自治体からの自粛要請に応じ、日々の生活を営んできました。
 その結果、感染の完全収束にはまだ先が見えない状況ではあっても、コロナウィルス感染の勢いが少し弱まってきたように感じます。改めて、強い強制力を伴わなくとも多くの人々が危機意識を持ち行動を自制することができる日本人の特質を誇らしく思います。

 しかしその一方で、自粛要請を受けながら開店をしているパチンコ店があり、その入り口に並ぶ多くの人々の映像や、開店を待っている人の言葉(内容)に眉をひそめた人も多いと思います。

 「想像を超える危機」(命にかかわる危機)を前にして、今、私たち一人一人に問われているのは、どのような意識を持ち、どのような行動をとるのかと言うことです。
 まず第一に、危機意識を正しく持つことです。そして、目の前に迫っている危機を「他人ごと」としてとらえるのではなく、危機を「自分ごと」としてとらえることではないでしょうか。

◆ 「他人ごと」と「自分ごと」の背景にある思い

 「他人ごと」で危機に対処すると、目の前の危機は他人の責任(他責主義)になります。別な言い方をすれば、「他人ごと」で物事を処理するとその時は楽なのですが、「他責主義」は自己の未来を他人に託すことになり、その結果「未来を混沌とさせる」という「他責主義の罠」に落ち込んでしまうということです。
 自粛期間中でも開店しているパチンコ店の前で、開店を待つ人が「店が営業しているからきました」「店が閉店していればきません」という言葉は、「他責主義の罠」に落ち込んでしまった人の姿を表しています。「自分には関係ない」「自分は大丈夫」「なんとかなる・・・」の背後に、「誰かが何とかしてくれれば・・」という思いがあるように感じます。
 そして「他責主義の罠」は、「危機に対する無自覚」「危機に対する無責任」や「施策盲従」「施策依存」「施策批判」などを引き起こし、「社会の安全」「社会の一体感」を阻害することへと進んでいきます。その結果、危機はますます増大し、状況は悪化し、社会は混沌としてしまうのです。


 その一方、「自分ごと」で物事に対処すると、「目の前の危機の責任の一部は自分にもある」(自責主義)ということになります。そのような「自分ごと」の意識の背後には、危機に対する明確な認識や自覚があります。
 「自分ごと」で危機を認識できる人は、打ち出された施策や方策に違和感があったとしても、「自分にできることはまずしてみよう」と思います。混沌とした状況の中で重要なことは、危機を正面から受け止め、自分のこれまでの行動を見直し、自己責任でこれからの行動を決め実践することなのです。(「自分ごと」で考え行動するということは、「自分勝手」に行動することとは真逆の考え方です。)

 「自分ごと」で危機をとらえている人々は、まず、「自分がやるべきことは何か」を自らに問うことから始めます。それは「自分が心の底から実現したいと思うこと」「希望や願い」(目標)の実現に向かって行動を始めるということと同義です。
 危機を前にして、第一にしなければならないことは、置かれている厳しい現実を認識することです。そして、これまでの「他責主義の罠」によって起こってしまった危機や対処の失敗を認め、「自分が心の底から実現したいと思うこと」「希望や願い」を問い直し、その達成を目指した旅を始めることです。
 「明確な目標」(大きな達成目標⇒今達成を目指す小さな目標)を定め、それを実現するための仕組みを構築し、できることから実践・実行していきます。
 実は、この現状認識、課題の明確化、目標の設定、仕組みの構築、実践・実行、評価・改善というプロセスは、「デザイン思考」による課題解決の手法と同じなのです。
 
◆ 「他人ごと」と「自分ごと」の間に不可欠な「信頼」

 「他人ごと」と「自分ごと」は、対立する概念ではありません。物事を処理する事も含めて、生きることすべてを他人に任せることができないのと同じように、生きることをすべて自分だけで完結することもできないのです。


 大切なことは、社会の「公共・公益」を基盤として、社会全体が実現を目指している「希望・願い」と、「自分ごと」で実現をめざしている「希望・願い」とを可能な限り近づけることです。それは、「他人ごと」と「自分ごと」とのバランスを保ちながら、社会と個人の発展を共に目指す生き方であり、これからの時代に求められている生き方のように思います。
 その時、不可欠なものが「正しく的確な情報」です。「公益」と「個人の利益」のバランスを保ち、一人一人が「自分ごと」として行動を起こすためには、「正しく的確な情報」が極めて重要になります。別な言い方をすれば、得られた情報の正確性・確信度・妥当性が、「他人ごと」(他に任せること)を是認し、「公共・公益」を尊重した「自分ごと」の行動へと人々を誘います。
 特に、「他人ごと」として自己の生活の一部を託さねばならない行政やそれを司るリーダー等に対する「信頼」は、混沌とした危機的な状況を打破するためには不可欠であり、リーダー等に対する信頼をベースにした「自分ごと」としての行動こそが今求められているのです。
 特効薬がないコロナウィルスの感染を早期に収束させるためには、「他人ごと」のように施策批判をするのではなく、施策を「自分ごと」としてとらえ直した上で、公共・公益を意識し、自立した一人一人の行動こそが今求められています。


◆ 「新たな視点」を求めて全体を見る!
  教育にこそ求められている「他人ごと」と「自分ごと」のバランス

 これまでの20~30年間、「教育改革」が叫ばれ続け、新たな教育施策が次々と打ち出されてきました。また、教育基本法の改正に代表される様々な教育関連法等の改正や教育制度の改変・創設なども実施されてきました。
 しかし、今回のコロナウィルスによる学校の休校が続く状況が、日本の教育が世界最先端とはいえない実態を図らずも明らかにしてしまいました。例えば、多くの先進国が学校の休校と同時に「オンライン学習」に切り替えて教育を継続していましたが、我が国の公立小中学校等における「オンライン教育」の状況は寂しい限りです。「オンライン教育」を推進するための理念や、実施のための通信環境の整備、オンライン教材、指導技術など、他の先進諸国と比較するとその貧弱さは明らかです。
 また、唐突に「9月入学」が論議され始めたことにも疑問を感じます。

 さらに残念なことですが、次のような言葉を教育関係者から聞くこともあります。
  ・「矢継ぎ早の改革が嵐のように押し寄せて・・・・」
  ・「教育現場は多忙感に満ちて疲弊しているので・・・・」
  ・「学力向上を強く求められていて・・・・」
  ・「私たちは法に従い、誠実に教育に取り組んでいる!」
 でも、このような「他人ごと」の意識でこれまでの教育を論じ、その延長線上でこれからの教育を論じていたのでは、「コロナ後の世界を創り生き抜いていく子供の育成」など夢に終わってしまいます。
 世界的に「コロナ後の世界」が論議されている時だからこそ、「他人ごと」の意識を変え、日本の教育を今起こっている激変を力強く乗り越えられるように、皆で知恵を出し合い、未来を想像し、未来の創造へと第一歩を踏み出す必要があるのではないでしょうか?


☆  次回は、「他人ごと」と「自分ごと」を、教育の視点から考えてみたいと思います。