夢・希望を育む教育のデザイン (改 -JEDIー)

未来志向の教育デザイン-1- 想造&育教

 明けましておめでとうございます。

 令和2年(2020年)は、「東京オリンピック・パラリンピック」の年として、日本全体の大きな飛躍と、オリンピック・パラリンピックを大成功に終えることを目指し、全世界に希望と平和を日本が率先して訴え希求する好機でもあります。

 また、令和2年(2020年)は、小学校において「新学習指導要領」が移行期を終え、完全実施される年でもあります。「社会に開かれた教育課程」「カリキュラムマネジメント」「主体的・対話的で深い学び」「資質・能力の育成」などが提起され、その実現に本格的・全面的に取り組む年となります。

 でも・・・

 新学習指導要領の全面実施を数ヶ月後に控えたいま、「新学習指導要領の完全実施に対する備え・準備は万全ですか?」と問われた時、あなたはどのように答えますか。

 教育に関するさまざまな調査の結果を見ると、いじめ件数、不登校数、虐待件数な度の増加や、教師間のいじめ、教員採用試験の倍率の低下など、新学習指導要領が目指そうとしている目標の実現にはほど遠く、残念ながら「準備は万全」とはいえない状況が続いているのではないでしょうか。

 その背景には、「今日の教育を支えているパラダイム(ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み)」が古くなり、現在にそぐわない状況の中で古いパラダイムの履行を求めていることがあるのではないでしょうか。

 私達「日本教育デザイン学会」では、「未来志向の教育デザイン」をテーマとして、新たな教育のパラダイムをデザインすることを目的として活動しています。
 そのキーワードは「想造」(想像+創造)と、「育教」です。
「想造」とは?
 「想造」とは私達が創った造語です。そして、「想造」という言葉に私達は次のような思いを込めました。
 私達は、人が新たなことを始めようとする時の原動力は「こんな○○」という思いではないかと考えています。「こんな子供たちを育ててみたい」「こんな学年を創りたい」「こんな活動を仕組んだら楽しいだろうな」など、心の底から湧きあがり、どうしても実現したくて居ても立ってもいられないようなことを心に抱くことからパラダイムデザインはスタートします。その作業はまさに「想像」することと同義です。これまでにない新たなモノや事を創るすべての行動のスタートは「想像」する事から始まります。
 そして、どうしても実現したいという思いが強ければ強いほど、人は「想像」した事を実現するために活動を開始します。その活動こそが「創造」です。思いや事を心の底から実現したいと思い、そのために全力で行動することこそ「デザイン思考」であり「想造」などです。
 教育現場の活力が失われているとしたら、それは{教育現場に『想造力』が不足している」ことの証左ではないかと思います。

「育教」とは?
 「育教」も、「教育」という漢字の前後を入れ替えて創った私達の造語です。そして、「育教」という言葉に私達は次のような思いを込めました。
 「子供たちが壊れていく」という思いを抱いている人は少なからずおられると思います。虐待の増加、不登校の増加、いじめの増加など、少子化が進んでいるにもかかわらず事例や発生件数は増加の一途です。
 その背景にはさまざまな要因がありますが、私達はその最大の要因の一つに「幼児期の不適切な養育」(二次障害の獲得)があるのではないかと考えています。それは「基礎が育っていない子供の増加」と同義のように思います。「基礎が育っていない子供」に、「教」という作業をどのように効率よく提供したとしてもその効果がほとんどないことは自明ではないでしょうか。
 「まずしっかりと育てる」ことを教育のスタートとして、人としての基盤・基礎を創るべきではないかとかんがえています。そして、その基盤・基礎の上に「教」として「知識・技能」「思考・判断力」などを育てていく。言い換えれば、「教える」ことにばかり注視してきたこれまでの教育を見直し、「まず育てる」ことから教育をスタートさせ、必要な時に必要なことを教える(支援する)教育を目指す」というパラダイムシフトが必要だと考えています。

 山河に降り注いだ雨、葉についた一粒のしずくが、一筋の水の流れを創り、やがて大河となり大海原へとつながっていくように、一人一人の子供たちが未来という大河を創っていきます。

 すべての子供たちが持っている「一滴」の力を高め、それを大河にまで導くのが私たち大人の役目ではないかと思います。また、そのような思いを実現できる教育であって欲しいと願いながら、令和2年最初の投稿とします。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。