日本教育デザイン学会 ーJEDIー

一粒の種の神秘 -3- (教育の意味を問う)


「一粒の種の神秘-1-」では、小さな一粒の種に秘められている神秘的な力について書きました。
「一粒の種の神秘-2-」では、植物だけではなく、子ども達が「成長・発達の力」を秘めていることに少し触れました。

これまで、子ども達は、自ら育ち成長・発達する力を持って生まれてきていていることに触れ、その力を最大限に引き出すのが「環境」であることを、私たち大人は強く意識する必要があることを述べてきました。

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子どもの成長や発達をつぶさに観察すると、「教えたからできた」という行動よりも、「教えなくともできた」という行動の方が多いことに気づきます。特に、乳幼児の時期は、「教えること」は教育の中心的な課題にはなりません。

親は、子どもが「できるようになる」ことをじっと待っています。授乳し、おむつを替え、語りかけながら、そのときをじっと持っているのです。

「原始歩行」を知っていますか。
原始歩行の映像を講演等で見ていただくと、多くの大人が驚嘆の表情を浮かべます。
生まれたばかりの赤ん坊の両脇を抱え、足の裏を床につけると、まるで歩くような仕草をします。これが原始歩行です。生まれたばかりの赤ん坊が、歩くという仕草をすることに、多くの大人は驚きます。

このこと一つとっても、私たちが抱いていた「教育」へのイメージが一面的で、教育の意味や子育てというこれまでの行為を見直さなければならないことに気づきます。

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超未熟児として生まれてくる赤ちゃんは、親(大人)の「育てる」という支援がなければ、命を維持することはできません。したがって、「育てる」という親(大人)の行為は、子どもの成長にとっては不可欠なのです。

その6年度。学校教育(義務教育)は、子どもが生まれてから6年後にしか始まらないのです。

もう一度考えてください。
子どもが生まれてから、義務教育(小学校教育)が始まる6年間は、子どもの将来を方向づける最も大事な時期です。その間に、どんな教育を展開するのかが極めて重要なのです。