日本教育デザイン学会 ーJEDIー

アクティブ・ラーニング-1- 狂騒?


2016年8月、文部科学省は「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」を公表しました。そして、書店には「アクティブ・ラーニング」をタイトルとした書籍が数多く並んでいます。まさに、多くの先生方が「アクティブラーニング 狂騒」といった観を抱いているのではないでしょうか。

そのうちの一冊を手に取りながら、「この光景はいつか見たような・・・?」という思いが、ふと脳裏をよぎります。

「はたして、それはいつ頃のことだったのか ・・・・・?」

記憶をたどってみると・・・

「総合的な学習の時間が始まろうとしていた平成12年(2000年)、16年前の状況と似ている」
「学校にカリキュラムの編成を任せ、子供たちに課題の発見や,主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力の育成をねらいとした、総合的な学習が始まったころの状況と似ている」

Wikipediaで「総合的な学習の時間」を調べると、以下のような文章が出てきます。

◆総合的な学習の時間の趣旨とねらい

総合的な学習の時間の趣旨とねらいは、小学校の場合、小学校学習指導要領に次の通り定められている。そのほかの学校もだいたいこれと同様の趣旨とねらいが掲げられている。

「趣旨」
総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする。

「ねらい」
・自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
・学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
・各教科、道徳及び特別活動で身に付けた知識や技能等を相互に関連付け、学習や生活において生かし、それらが総合的に働くようにすること。

「でも、今では、総合的な学習の時間に対する当初の熱気は失せ、そのねらいが十分に達成されていない状況を呈している」

「学力競争が一層激化する一方で、配慮を必要とする児童生徒が増え、教師の多忙感は増す一方なのに、今度は『アクティブ・ラーニング』か・・・」

各学校では、一斉にアクティブ・ラーニングに関する研修や研究が始まっていますが、「どうしたらいいのか」「どう対応したらいいのか」というHow To的な感覚に傾きがちで、アクティブ・ラーニングを取り巻く学校現場の雰囲気は、16年前の総合的な学習の時間のときの状況と酷似しているように思います。

総合的な学習の時間が始まったころの教育改革を年を追って示したのが下図です。

1996年に中央教育審議会から「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という答申が出されて以来、2000年のPISA調査の実施と、翌年の結果の公表により、フィンランドの教育に注目が集まった時期でもあります。

nennpyou12001年に出版された『学校のリ・デザイン』(無藤隆著、東洋館出版)での中で、著者である無藤隆氏は書の冒頭で、次のように述べています。(p.12)

・・・新たな教養の時代を開始すべきなのだと思う。自ら体験を広げつつ、知識と情報の海を、学校で習得した意図的な道具を活用して、泳いでいき、自分なりの教養をつくりだせるといった人たちの生成である。学校がそのすべてをまかない責任をもつものではない。だが、スタートラインは学校が確実に用意する。知的な道具を与え、体験を広げる意味を覚えさせ、海を泳ぐ技能と意欲を持たせ、また平行して、泳ぐに値する海を社会に形成することである。

・・・いま、基礎学力を重視する立場から基礎的知識の習得を強調する意見が出ており、体験的な活動を重視して子どもの生き生きとした活動をつくりだそうとする意見と対立しているように思える。だが、そのどちらも必要なのである。肝腎なことは、そのどちらも可能にしつつ、子どもの生活全体のなかで学びの姿勢をつくりだし、本を読み、報道番組で考え込み、インターネットで関連する情報を集め、現場に出かけて問題を考えること、そして自らの学校に戻って地道に力をつけて将来のための努力をする子どもを育てることである。

しかし、残念ながら無藤氏のこの思いは十分に実現されないまま、「百ます計算」に代表される基礎的知識の習得を重視する勢力に破れ、習得型の教育が主流のまま今日にいたっています。
当時は、総合的な学習の時間への大きな期待があり、さまざまな先駆的な教育実践が全国で繰り広げられた一方で、総合的な学習の時間は「ゆとり教育批判」や「学力低下論争」に巻き込まれ、今時の教育改革の柱の一つである「カリキュラム・マネジメント」を実践するために必要な、学校や教師が自主的に教育課程を編成する資質・能力を獲得し、磨き、伸ばすチャンスを逃してしまいました。

改めて、「次期学習指導要領の改訂に向けたこれまでの審議のまとめ」を読むと、次期学習指導要領が目指している方向と、無藤氏が著書『学校のリ・デザイン』で示していた方向とは類似していることに気づきます。

「アクティブ・ラーニング」という言葉だけが先行している状況は回避しなければならなりません。先に述べたように、次期学習指導要領では、アクティブ・ラーニングとカリキュラム・マネジメントが改革の柱になっていますが、その必要性や関連性が論じられることなくHow To的な論議に帰結してしまうことに危機感を覚えます。

これまでの16年あまりの教育改革の道のりを振り返ると、時代の変化や総合的な学習がなぜ必要なのかという深い論議がなされないまま(価値が共有されないまま)、無為な時間を過ごしてしまったのではないでしょうか。16年前、総合的な学習の時間を創設し、その普及に取り組んでいた当時の先人たちの教育への先見性を生かせなかったことを残念に思いつつ、いままさに求められているのは、How ToではなくWhyなのです。

「なぜ?」をまず突き詰める必要があります。そしてその先に、16年前に実現しようとした「学校のリ・デザイン」に対する思いを教育改革の中心に据えた論議が求められています。

さて、本年度中には次期学習指導要領について中教審から答申が出される予定ですが、それに先だって、2013年、国立教育政策研究所が「教育課程の編成に関する基礎研究」の成果を発表し、21世紀型能力について提言し、2014年には増田寛也著『地方消滅』が中公新書より刊行され、危機感と共に「変わらなければ」という動きが見られはじめました。

そして同年、「学習指導要領の改訂」が中教審に諮問され、学習指導要領の構造的転換が図られようとしています。次期学習指導要領の改訂は、「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体改革」と連携したものであることにも注目する必要があります。

下図に、最近の教育改革の動きを示します。次期学習指導要領の実施まで、小学校では4年あまりです。表面的な改革に終わることなく、教育をリ・デザインするほどの改革であることを認識し、しっかりとした準備が求められています。

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