日本教育デザイン学会 ーJEDIー

「これまでの教育改革」と「これからの教育改革」-②-


前回は、「学校教育」の前提がすでに崩壊していることを指摘しました。

次々と教育改革という施策が実施に移されています。
どの教育改革も意味を持ち、正当な理由を持ち、期待する成果を明示しているにもかかわらず、改革を目的とした当初の成果を上げることはままならず、適切で的確な施策評価がなされないまま、次の教育改革の実施や施策の変更を行わざるを得ないような状況が続いています。

そして、この状況が続き、次々と打ち出される改革が子供たちの未来に大きな齟齬と教育現場の混乱をもたらすのではないかと危惧しています。

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上図に示すように、学校は(先生方は)、やらなければならないこと、やるべきこ仕事がますます増えているように思います。
言い方を変えれば、次々と教育改革という名の変革が、教育の最前線で活躍している先生方の上に降り注いでくるという状況が、教育現場の多忙感を増幅させています。
そして、ますます深刻で困難な事態を前にして、その解決とはほど遠い教育改革の履行を迫られることが、学校現場にカオス的な状況をもたらしているのではないかと危惧しています。

これまで、多くの教師は「教育改革」という名の制度変更を前にして、その履行に努力してきました。

しかし、はたして上図に示したさまざまな教育課題のうち、どの課題が、どの程度解決・改善されたのでしょうか。
子供たちと接していると、ますます教育課題は深刻さを増しているようにも感じますが、それは学校や教師の力不足ということではなく、制度や仕組みも含めた力不足なのではないでしょうか。

家庭や地域の崩壊が深刻で、その改善が容易でないことから、(それは、「学校教育の前提」が崩壊していることにもかかわらず)、そのこと(地域や家庭の教育力の崩壊)を是認しないまま、さまざまな事件(児童生徒が関係する事件・事故)を学校教育の問題だとして、その責任を「学校」に求める風潮が強まっているとしたら、教育の未来に光明は見いだせないのではないでしょうか。

残念ながら、これからも改革という名の制度変更は頻繁に行われ、教育課題を解決できないまま、その深刻さは増していきます。

管理職・教職員の給与に格差をつけるための法改正が実施に移され、教育現場では不可欠な「一体感」の崩壊も危惧されています。
下図に示すように、「学校」は、ますます変革という名の改革と状況の悪化の前で、崩壊の寸前にあるように思います。

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教育課題が深刻であることに異論はありません。また、その改善や、そのための改革が必要であることは当然であり、異を唱えるものではありません。
しかし、今日の状況を、誰かに、どこかにその原因を依拠しなければ「安心感」が得られないという不安定な心理状態が続き、その改善に取り組まなければ「これまでの教育制度」の存亡が危ういという固定概念こそが、「教育を成り立たせている唯一の拠り所でもある学校」の教育力を急速に低下させてしまうとしたら、「角を矯めて牛を殺す」という故事そのもののを地でいくような状況になってしまうのではないでしょうか。

教育現場には、献身的で子供のことを第一に考え頑張っている先生方がたくさんいます。施策立案者の不安を解消するための教育改革ではなく、教育現場で奮闘している「宝物」のような先生方を信じ、その姿勢やマインドにマイナスの影響を与えないことこそがが、「教育改革」の前提のように思います。