夢・希望を育む教育のデザイン (改 -JEDIー)

山積する教育課題と疲弊感・徒労感の打破!


「学校経営の本質と課題」-2-

現在の教育は、山積する課題と取り組まなければならない極めて厳しい状況に陥っています。
課題の数は増え続けるばかりですし、どの課題も複雑で、解決に向けてすぐに取り組まなければならない緊急性がありながら、その解決は容易でない問題ばかりです。

どこから着手したらいいのか?
どのように解決に向け取り組んだらいいのか?

迷うばかりですし、課題解決に向かって全力で取り組んではいるものの、一向に改善の兆しが見えないといった状況が続いているのではないでしょうか。そして、疲労感や徒労感は高まる一方のように思います。

学校を預かっている管理職の先生方の責任は重くなる一方で、「このような課題山積の状況は自分の経営が悪いからでは?」といった疑問や不安も高まってしまいそうです。

sanseki1山積する課題を前に、次のような思いを抱くことはありませんか?
・課題が相互に複雑に絡み合っている
・取組の優先順位をつけるのが難しい
・一つの課題の解決に取り組んでいるうちに、他の課題が深刻な状況になってしまう
・一つの課題の解決に成功しても、他の課題は残っており、新たな課題が次々と発生している
・これまでの手法で効率化を図っても、多くの課題を解決できない

なぜ、こんな思いを抱くのでしょうか?
それは、私たちの取組の多くが対処療法的な取り組みになってしまい、取組が課題の本質に迫っていないことが理由のように思います。

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いま私たちに求められているのは、これまでの経営手法を磨き、教育をより一層効率化し、教育資源を次々と投入していくようなやり方ではありません。いくらこれまでの手法をブラッシュアップし課題解決に取り組んでも、一向に課題解決に至らないという現状を見れば、そのようなやり方が解決につながらないことは自明です。モグラ叩きのような場当たり的な対応では、課題解決に正面から取り組んでいる先生方の疲労感は増すばかりです。

私たちが、多くの課題を前にして最初に行わなければならないことは、「新たな発想法」で多くの課題に底通している「課題の本質」に迫ることです。

後日「デザイン思考」については触れる予定ですが、デザイン思考の提唱者の一人であるティム・ブラウン氏は「デザイン思考が世界を変える」(2010ハヤカワ新書)の中で次のように述べています。

熟練の技術者、職人、研究者といったデザイナーの多くは、現在の複雑な問題を解決する上で避けては通れない、乱雑な環境を生き抜くのに苦労している。価値ある役割を果たしているのは確かだが、デザインの実行という下流工程の世界で生きる運命にある。
それと対照的に、デザイン思考家は「T」の横軸を備えた人々だ。心理学を学んだ建築家、MBAを取得したアーティスト、マーケティング経験のあるエンジニアなどがその例だ。クリエイティブな組織は、能力はもちろん、分野を超えて共同作業をする資質をも兼ね備えた人材を常に探している。(p.40)

このティム・ブラウン氏の言葉を教育の世界に置き換えてみると、これまでの教師は下流工程の世界で頑張っているデザイナーとして留まっているが、これからの教師は上流過程で「こと」をデザインする「デザイン思考家」になることが重要であると読み替えることができます。教師が「デザイン思考家」へと進化したとき、新たな発想で課題解決の糸口をつかむことができるのです。

理科教育の専門家であるとともに特別支援教育の造詣が深い教師、国語教育の専門家であるとともに教育相談の指導者というように、異分野にまたがった資質・能力を有している「T型人間・T型教師」が、一見解決不可能とも見える複雑で多岐にわたった教育課題を解決する糸口を見つけ出します。しかし、残念ながら、T型教師の数はそれほど多くありません。そのような人材を見つけだすことは至難の業ですし、そのような人材を急いで育成することもできません。

でも、学校には国語、歴史、科学など異分野の専門家がたくさんいます。この「異分野の専門家集団」という学校独自の経営資源を生かすことができれば、「異分野集団・T型集団」を編成することができます。学校の中で、小さな異分野集団・T型集団が自立的な活動を展開することができれば、「課題の本質」に迫ることが可能になります。

明確な目標、目標の共有、組織マインドの転換などに取り組み、組織をT型集団へと変革できれば、思いもよらなかった解決の糸口が見つかり、当事者意識が組織内に醸成され、組織内に充満していた疲労感や徒労感を打破することができるのです。