大津市で発生した「いじめ事件」を契機に、教育は大きく変わりました。
教育委員会の仕組みが変わり、いじめ防止対策推進法が制定され、全国の学校がいじめ防止に取り組んできました。
しかし、再び「いじめ」によって若い命が失われてしまいました。
「なぜ防ぐことができなかったのか」「学校のいじめ対策や、発見した時の対応策はどうなっていたのか」「なぜ、生徒の生活ノートへの記述が他の教師や管理職に共有されなかったのか」「この学校にいじめ防止を目的とした経営は存在していたのか」など、多くの疑問がわき上がってきます。
「このような状況は希有だ」という思いに駆られそうになりますが、かけがえのない若い大切な命を失ってしまったという厳しい現実は、その思いを許すことはありません。
大津市のいじめ事件以来、学校教育が抱えていたさまざまな課題を解決することを目的に、教育法規の改正、いじめ防止対策推進法の制定、教育委員会組織の改正など、これまでにない教育改革がなされてきました。しかし、同じような事件を防ぐことはできませんでした。
ここに現在の公教育の深刻な課題が潜んでいます。
大津の事件、そして再び発生してしまった岩手の事件は、どのように教育法規を整え、罰則を強化しても、同様な事件の再発を防ぐことはできないということを示唆しています。
問われているのは、「このような教育現場の状況にどれほどの教育関係者が当事者として危機感を抱いているのか」ということあり、教育や教育現場が直面している危機的な状況を「どのように乗り越えるのか」「そのために教育現場(学校現場)をいかにして創造的な場に転換していくのか」という課題の本質に迫る意識と具体的な取組が必要なのです。
管理職はもとより、教育に携わるすべての人々が当事者意識を持ち、未来を構築する役割を担っているという自覚と、教育者としての使命感を共有しなければ、このような深刻な状況を打破することはできません。
「あってはならない深刻な状況」が再び発生したことを正面から受け止め、学校教育は存亡の危機に直面しているとの意識をもたなければ、このような事件を根絶することはできないように思います。そして、学校がこのような事件を根絶できないとしたら、公教育という営み自体が存在価値を失ってしまいます。
事件の関係者の責任は重いものがあります。しかし、「誰を事件の当事者とするのか」という検討の出発点を明確にしない限り、再発防止に向けた有効な手立てを講ずることはできません。
事件の当事者は、私たち教育に携わる者すべてではないかと思っています。