夢・希望を育む教育のデザイン (改 -JEDIー)

失われた14年? 総合的な学習が意味していたもの


2000年(平成12年)から実施されている「総合的な学習の時間」に関する記事が読売新聞(平成26年12月18日12版)」に掲載されています。

そこには、次のような記述があります。

「総合学習で教科の授業時数が減り、学力低下につながったとの批判もあるが、今年度の全国学力テストでは総合で探求的な学習に取り組むと答えた児童は取り組んでいない児童よりも、活用力を問う小学校国語B、算数Bとも18.7ポイント高かった」

yomiuri26_12_18(平成26年12月18日読売新聞)

 この記事を、かつて「学力低下」を声高に訴えていた方々はどう読まれているのでしょうか?

当時を振り返ると、多くの学校や教師が「学校や教師が持っているカリキュラム編成能力をいよいよ発揮するチャンスが到来した」と、横断的・総合的学習の時間を積極的にとらえ、さまざまな先進的でダイナミックな教育実践が展開され始めていました。
総合的な学習の時間が、これまで教え込むことが教育と考えられていた流れを、子どもたちの課題意識に沿いながら主体的な学びへと変えるチャンスであるとの思いや、これからの教育を創造しようとするエネルギーが教育現場には満ち始めていました。
多くの教師は、手探りながらも、子ども達の変容に勇気づけられながら創意工夫を結集し、魅力的な実践が次々と展開されていました。

しかしその一方で、「教科書のない横断的・総合的学習への戸惑いや不安」が報道され、「百ます計算」が多くの学校でブームになるなど、これまでの知識をいかに効率よく身に付けさせるかがまず重要だとの論調が「学力低下」という風聞と結びつき、総合的な学習の魅力を失わせていきました。
そして、「学びのすすめ」が文部科学省より公表され、教育は再び効率化を追求する方向へと舵を切りました。

あれから14年。
上記の讀賣新聞の記事は、当時の「学力低下」に関する論議がいかに不毛であったのかを物語っているように思います。
OECDのキー・コンピテンシー、アメリカが提唱している21世紀型スキル、日本で話題になり始めている21世紀型能力など、教育の世界では「パラダイム・シフト」が起こっていることと、急速な人口減が現実の危機的問題として迫ってきていることを背景に、ようやく「変わらなければ」「変えなければ」という変革の風が再び吹き始め、再び総合的な学習の時間の価値に注目が集まっているのではないでしょうか。

この微風ともいえる変革の風が、「効率化」というこれまでの教育の風に再びかき消されないことを願うばかりです。