夢・希望を育む教育のデザイン (改 -JEDIー)

企業経営から学ぶ  ー トップの責任①ー


現代ビジネス[講談社]が、「ホンダは、ソニーになってしまうのか。本田宗一郎の精神を失った経営は負のスパイラルに」という記事を配信してます。(H27/1/31) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41937

その詳細は、上記のアドレスに譲るとして、記事は次のよう締めくくられています。

伊藤社長(ホンダ社長)は長期的な視点を忘れて、短期的に業績をあげようと焦ったことが、本田が低迷する『真因』ではないか。ソニーが凋落したのも、目先の利益ばかり追いかけ、金融事業を強化し、ユーザーが驚嘆するような製品を出せなくなったからだ。その結果、本来ならばソニーで出すべきような商品をアップルなどが出し始めて、ソニーの製品が駆逐された。このままでは、ホンダもソニーと同じ運命を辿りかねない。

この記事を教育の世界から読み返してみると、教育の世界にも同じような凋落の危険性が隠されていることに気づきます。

全国学力・学習状況調査の目的は、各県や各市町村の順位付けが目的ではありません。文部科学省では、次のように調査の目的を説明しています。

  • 義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。
  • そのような取組を通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。
  • 学校における児童生徒への教育指導の充実や学習状況の改善等に役立てる。

しかし、結果の公表の是非が議論される中で、全国学力・学習状況調査の国内での順位にばかり目を向け、その順位を上げることが目的になってしまっている某県の知事の動きなどは、順位さえ上がれば「我が県の教育は向上した」とでもいうような、まさに「目先の利益」ばかりを追いかけているように見えます。

当然のことですが、平均点を出せば、必ず平均点付近の中位と、その上下に上位と下位があることなど自明のことです。平均点を出すということは、当然の帰結として、第1位と最下位の県が存在することになります。
そして、平均点を基準として、各県の得点を比較すれば、順位が上がる県がある一方で、順位の下がる県があります。したがって、順位に固執し、全国平均との比較で、教育の成果を図ることを重視してしまうと、必ず平均点以下の県や、最下位の県が出てくることになり、いくら努力をしてもコップの中の争いが続くことになり、教育は「無限地獄」へ入り込んでしまいます。

言い換えれば、どんなに教育現場の先生方が頑張ったとしても、その努力の成果は平均点との比較でしか評価されないということであり、「学力向上」という競争を無限に強いられるということでもあります。

ホンダやソニーの経営者と同様に、教育界を担っている(権力と権限を有している)者の責任は重大だということを改めて認識する必要があるように思います。
教育施策を預かっている(権力と権限を有している)者が、長期的な視点を忘れて、短期的な業績を上げることにばかり関心を持ち、その達成を学校現場に強要すれば、教育界もホンダやソニーのように苦境にあえぐことになるのではないでしょうか。

すでに教育界は、ホンダやソニーのような状況に陥っている可能性があります。格差がますます拡大し、特別な配慮や支援が必要な子供が増え、生活保護を受けている家庭も確実に増加しています。

元気に登校してくる子供たちですが、その肩にさまざまな困難を担いながら頑張っている子供がいることを思うと、平均点や順位で教育の成果を測定するという「これまでの手法」では、子供たちの幸せを担保できない時代が到来しています。

本来ならばソニーで出すべきような商品をアップルなどが出し始めて、ソニーの製品が駆逐された。

との指摘は、そのまま公教育にも当てはまるように思います。

本来ならば学校現場が意欲を持って生み出すべき教育を、権限を持った者がその妥当性や正当性を十分に説明することもなく履行だけを求め続け、短期的な成果で優劣を評価するような教育が展開されれば、その結果として、教育現場が疲弊していく。

そんなことだけは避けなければならないと思います。