夢・希望を育む教育のデザイン (改 -JEDIー)

余剰幻想?


みなさんは、「日本アカデメイア」という団体をご存じですか?

日本アカデメイアは、日本の著名な企業経営者、学識経験者、労働界の代表などの方々が集まって、平成24年に発足した会です。

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そして、本年(平成27年)2月5日に
  「戦後70年 我々が次の時代に残すべき日本の姿 余剰幻想を越えて」
という報告書を公表しました。

akademeia2http://j-akademeia.jp/event/

その報告書のキーワードが、「余剰幻想」という言葉です。
聞き慣れない言葉ですが、報告書では「余剰幻想」という言葉を次のように定義しています。

「余剰幻想」というのは過去の遺産――1960年代から 1980年代の輝かしい経済成長の時代――によりかかり、過去の 考え方、生き方、働き方のままに、将来を描き続けようという根深 い体質を指す。
福沢諭吉風に言えば、それは一種の「惑溺」現象で あり、「過去によって未来を卜する」態度であり、過去四半世紀に起 こった変化に基本的に目を閉ざすことにつながる。 現に、日本社会の仕組みの多くはその過去に源を持ち、それだけ にその過去の呪縛力はなおきわめて強い。
しかし、その時代を知ら ない世代が人口の過半を占め、当時とは違った課題に日本が直面し ていることは周知の事実であり、あたかもそれを無視するかのよう な「余剰幻想」は自縄自縛を招き、自ら墓穴を掘るものといわざる を得ない。

 報告書では、「過去の輝かしい成果の余韻にいつまでも浸っているのではなく、厳しい現実を直視した上で、改革(イノベーション)を実行しよう」と提言しています。

 日本教育デザイン学会(JEDI)では、これまで幾度となく「このままの教育では、時代を切りひらく人財の育成(次代を創造する人財の育成)は難しい」ことを指摘し、教育現場の発想を生かしながら教育改革に取り組むことの重要性を述べてきました。そして、日本アカデメイアの「余剰幻想」という言葉に込められた提言に触れ、JEDIが目指している方向性は間違っていないと実感しています。

 大変革ができるか否かに、我が国の未来がかかっていることを考えたとき、著名であるなしにかかわらず、志を持ち、今できることを信念を持ってやり抜く姿勢こそが重要なのではないかと思っています。